井上寛照公式サイト

2017.2.12 | カテゴリ:ブログ

希望 vs 執着

安養寺奥之院には
薬師如来(お薬師さん)が祀られています。
 
手に薬壺を持っていて、
心と身体の傷を癒してくださる仏様です。
 
安養寺では毎年2月11日に
薬師護摩を修法しております。
 
燃え盛る火の中に薬師如来を勧請し、
それぞれの願いが書かれた護摩木を
「オンコロコロ…」と真言を唱えながら投入します。
 
「燃やす」という行為の中には、
「執着を手放す」という意味もあります。
 
仏様に願いをゆだねて、
その願いへの執着を手放すのです。
 
「執着を手放す」というのは、
「希望を捨てる」ということではありません。
 
希望には生きるエネルギーを生み出す力があります。
特に困難な状況にあるときには希望は大きな力となります。
 
「病気を治したい」という希望があればこそ、
病気と正面から向き合い、治療や健康への
取り組みにも意欲的に関わることができます。
 
ところが、
「何が何でも病気を治さねば…」と、
病気を治すことに執着してしまうと、
治療や健康への取り組みが苦行となってしまいます。
 
私たちの身体には、自分の身体を守る免疫力や、
自分の身体を癒す自己治癒力が本来備わっています。
 
そして、免疫力や自己治癒力は
心身がリラックスしている時にこそ
もっとも効果的に働くといわれています。
 
ですから、
「病気を治したい」という希望を持ちつつも、
 
「完治できなくても、周囲の助けを借りながら
 豊かな人生を送ることもできる」と、
 
執着を手放して
おおらかに生きる姿勢を育むことが、
安定した治療経過をたどるためにとても大切なのです。
 
かくいう私自身も、
完治が難しいとされる病気をもっています。
 
病気の原因は明らかで、
極度の心身のストレスによるものです。
 
病気が発症したときには、
「あ~そうきたか…
 ついに限界が来たな…」という感じでした。
 
所属している複数の組織の
役職変更やシステム変更などに伴うもので、
心身に無理がかかっていることは自覚してました。
 
しかし、今解消しておかないと、
後々の負担がさらに増えるのが目に見えてるので、
腹を決めて正面から取り組まざるを得ませんでした。
 
今はもう仕事は落ち着きを取り戻し、
病状も8割くらいまでは回復してます。
しかし、それ以上の回復は難しいようです。
 
私としては、完治して欲しいので、
病院の治療も継続的に受けていますし、
健康のためにできることには真剣に取り組んでいます。
 
しかし、完治させなければ…と考えると、
しんどくなるので、深刻には考えないようにしています。
 
「深刻にならず、でも真剣に」というスタンスです。
 
病気をもっていることは、
望ましいことではありませんが、
悪いことばかりとも限りません。
 
今は、病状の変化を
健康状態を知るバロメーターと捉えています。
 
私は、つい仕事に熱が入りすぎて、
自分の健康をおろそかにしてしまう傾向があります。
 
心身に無理がかかると、途端に病状が悪化し、
見た目にもその変化が表れます。
 
そのため、否応なしに仕事の手を緩めて、
健康回復に取り組まざるを得ません。
 
これ以上頑張り過ぎて、
もっと深刻な病気にならないように、
身体がメッセージを送っているように感じています。
 
最近は、調子が悪くなる前に
ある程度身体の変化が予測できるようになり、
 
早めに仕事を切り上げて、温泉に入ったり
ストレッチや運動をしたり、子供たちと遊んだり、
自分のために時間を多く費やすようになっています。
 
私の病気のことは、
すでに周囲の多くの人が知っているので、
無理な要求を突きつけられることも少なくなりました。
 
逆に、「手伝いましょうか?」
という声かけを多くいただくようになり、
私自身も抱え込まず、仕事を手放すようになりました。
 
このような変化は、
病気になったからこそ得られたもので、
病気によって得られた恩恵ともいえます。
 
どのような現象においても
光の要素と影の要素があります。
 
病気においても、影の要素だけではなくて、
光の要素もあると、私は思っています。
 
病気になると、
影の要素にばかりに目が向いてしまい、
「何とかしなければ…」とつい力が入ってしまいますが、
 
光の要素にもしっかり目を向けて、
生きていくためのエネルギーを充電しつつ、
出来ることから一歩一歩進んでいきたいものです。
 
希望をもちつつ、執着を手放し、
ゆったりと大らかなに人生を歩んでいきましょう。
 
(写真は10年前のものです。新しい写真が取れなくて…)