井上寛照公式サイト

2016.10.18 | カテゴリ:ブログ

筏のたとえ

朝晩がずいぶん涼しくなり、秋が深まっていくのを感じつつも、
まだまだ日中は暑い日差しが続きますね。
 
寒暖の差が激しく、体調を崩されてる方も多いようですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか?
 
私は夏の疲れがやっと取れて、気力も復活し、
年末に向けて事務の整理などに取り組んでいます。
 
これから1ケ月間は、山積みになっている、
研修資料の整理に取りかかろうと思っています。
 
これまでに私が学んできたことの中には、
自分の血となり肉となっているものもあれば、
 
過去の自分にとっては役に立ったものの、
時の経過を経て、現在の自分にとって不要となったものもあります。
 
不要なだけならまだよいとして、過去に身につけたものが、
時として、現在の自分にとって手かせ足かせとなっていることもあります。
 
あなたはいかがでしょうか?
 
過去に得た知識や資格などに縛られ、
窮屈に感じることはありませんでしょうか?
 
そのような状態に陥っている時には、
仏陀の説かれた「筏のたとえ」が参考になります。
 
≪筏のたとえ≫
 
修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から開放されるために、”筏のたとえ”を説こう。
 
ある時、道行く旅人が大河に出会った。
こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。しかし、船も橋もない。
 
そこで、旅人は考えた。
「大きな河だ。でも、船も橋もない。
 葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない。」
 
そこで、旅人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。
 
次に、旅人は考えた。
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
 この筏は捨てるには惜しい。担いで道を歩いて行こう。」
 
さあ、この人は、適切な行動を取ったと言えるであろうか?
弟子たちは「いいえ」と言った。
 
仏陀は続けた。
では、どうするのが適切か考えてみよう。
 
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
 だが、この先は不要である。この筏を岸辺に置いて道を歩いていこう。」
 
このような判断こそ、適切な判断である。
 
修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から開放されるために、私は”筏のたとえ”を説いた。
 
どうか修行者たちよ、このたとえの意味をよく理解せよ。
 
正しい教えですら捨て去るべき時がある。
誤った教えであれば、なおさら捨て去らねばならない。
 
(パーリ語「中部経典」寛照意訳)
 
過去には機能したものも、
役割を終えたものは手放すことが大切なのです。
 
しかし、そうは言っても、
手放して良いのかどうか判断に迷うことがあると思います。
 
私は判断に迷った時には、考えることを止めて、
「止観」の瞑想に入ります。
 
「止」は「思考を止める」こと、
「観」は「心を観る」ことを意味しています。
 
外から得た情報をもとに考えるのではなくて、
心の中から湧き出る叡智の声に耳を傾けるのです。
 
手順としては、以下のようになります。
 
1.身体を緩める
 
柔軟な発想は、
心身ともにリラックスしているときにこそ出てくるものです。
 
柔軟体操をして、身体の緊張をほぐします。
身体の緊張がほぐれるにつれて心の緊張もほぐれていきます。
 
2.思考を止める
 
呼吸に意識を向けます。
吸う息と吐く息を意識しながら、ゆっくり呼吸をします。
 
呼吸の流れに意識を向けることで、
次々と移り行く思考の流れを止めることができます。
 
呼吸が深くゆったりとなるにつれて、
心の状態もゆったりと穏やかになってきます。
 
3.心を観る
 
身体の緊張がほぐれ、呼吸も心もゆったりと穏やかになれば、
その心地よさをしばらく味わいます。
 
心身ともにリラックスした状態で、判断に迷っている課題に目を向けます。
 
A案が良いのか、B案が良いのか、
あなたの叡智はどちらを望んでいるのでしょうか?
 
外から得た情報をもとに考えるのではなくて、
心の中から湧き出る叡智の声に耳を傾けるのです。
 
「これだ!」「私はこうしたい!」と力強く湧き上がる声が聞こえれば、
それがあなたにとって正しい判断です。
 
確信が持てなければ、納得できるまで、
何度でもあなたの叡智に問いかけてみてください。
 
きっと確信が得られることでしょう。
迷った時には「止観」の瞑想を試してみてください。
 
定期的にマインドフルネス瞑想会も開催しております。
ご興味をお持ちの方はhttp://anyoji.org/をご覧ください。


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